now loading...
caption
scroll top button

ワタシノムスメ

 国際教導学園の実習室にて、ある実験が行われようとしていた。  被験者はイクシードナイツの二人。  イクシードピーチこと、真咲百果。  イクシードアイリスこと、裁明寺紫鶴。  この二人に対し、甘樹菜々芭が装置の調整をしながら問う。 「正直なところ、どのような危険があるのか、予想ができません。それでもいいですか?」  菜々芭は二人に最終確認をする。 「はい、やります」  ピーチは明瞭に頷く。 「私も、問題ありません」  アイリスも意志を同じくしていた。  決意の揺るがぬ二人の瞳を見て、菜々芭は小さく息を吐いた。 「わかりました。では、再度実験の趣旨を確認します」  菜々芭の言葉にイクシードナイツの二人は頷く。 「あなたたちの中にある聖涙石。それに外部から干渉し、並行世界について何らかのデータのようなものが抽出出来ないか試します」  この実験は、イクシードナイツの二人がキールから与えられた聖涙石について、調査するためのものだった。  キールが二人に与えた聖涙石は、並行世界から持ち込まれたものである。  並行世界とは言え、キールは未来に存在していた。  もしも聖涙石から未来に関する何らかの情報を得ることができれば、ゲートや魔法災害など、諸々の問題への解決法が見つかるかも知れないと期待されたのである。 「聖涙石に何らかの痕跡が残されていれば、それをサルベージして解析します。しかし、普通のやり方では聖涙石には干渉出来ません」 「そこで私たちの出番ってわけですね!」  ピーチの言葉に菜々芭は頷く。 「あなたたちは意識体となって、聖涙石の内部へと潜行してもらいます。正直、このような試みは今までに行われたことがありません。どのような結果になるか、私にも正直予測出来ません」  菜々芭は実験の危険性を二人に伝える。  菜々芭としては、二人が断ったところで構わなかった。  大切な仲間である二人に危険な真似はできるだけさせたくない。  しかし、それで引き下がるようなイクシードナイツではなかった。 「大丈夫です。実験を行いましょう」  アイリスが言うと、ピーチも元気よく頷いた。 「もしこの実験が上手くいったら、魔法災害を止められるかも知れないんです! 多少の危険くらいなんてことありません!」  やる気満々の二人に、菜々芭は心の中でため息をついた。 「……わかりました。ですが、少しでも危険を感じたら、即座に実験は中断します。いいですね?」  菜々芭の言葉にイクシードナイツは頷く。 「では、始めます」  菜々芭はタブレット端末でイクシードナイツの周囲に配置した装置を操作する。  イクシードナイツの二人は唸るような機械音にしばらく包まれていたが、ふとした瞬間に意識が闇の中へと落ちていった。 「……!?」  気がつくと、ピーチは見たことのない荒野に立っていた。  周囲を見回すと、隣にはアイリスがおり、視線がかち合った。 「アイリス……ここって……?」 「わかりません。聖涙石の内部に潜入できたということでしょうか……?」 「でも、どうしてこんな寂しそうな場所なの?」  ピーチの疑問はある意味当然だった。  聖涙石は魔法戦士に力を与える奇跡の石である。内部にこんな荒れた光景が広がっているなど、思いもしなかった。 「……とにかく、ここにずっといても仕方ありませんね。移動してみましょう」  アイリスにピーチは同意する。 「そうですね! で、どこに?」  問われ、アイリスは困った顔をする。  周囲にぐるりと視線を巡らせてみたが、360度すべて地平線しかない。  地面には乾いた土しかなく、足音や何らかの痕跡のようなものは何も見えない。  周囲は明るいが、空には雲も太陽もない。空の色も日中の青さというより、夜の深い藍色に近い。それでも夜のように暗くはない。  常識の通用しない空間であることは間違いなさそうだった。 「とりあえず、真っ直ぐ歩いてみましょうか」  アイリスは適当な方向を指さし、そちらに足を進める。  しばらく歩いていると、遥か先の方に何か見えてきた。  近づいてみると、それを腰をかけられるくらいの大きさと高さの石だった。  そして、その石の上には布にくるまれた何かが置いてあった。 「これ、何でしょうね?」  ピーチは布に手を伸ばす。 「気をつけてください」  アイリスの注意され、ピーチは頷くと慎重に布をほどいた。  そして中にあるものを目にした瞬間、ピーチは思わず悲鳴を上げた。 「ひっ!?」  バネ人形のように仰け反ったピーチの隣で、アイリスも目を見開いたまま硬直していた。 「こ、これは……人間の骨……!?」  布にくるまれていたのは人骨だった。  大きさからして、幼い子供だと思われる。 「ど、どういうことなの……!?」  すっかり動転してしまったピーチは、青ざめてアイリスの肩にすがりつく。  アイリスも内心は平静ではなかったが、ピーチを落ち着かせるべく、彼女の手に優しく触れた。 「わかりません……わかりませんが、この骨は恐らく赤ちゃんのものなのではないかと……この布はおくるみのようですし……」  アイリスは事実を事実としてロジカルに捉えることで、冷静さを保とうとしていた。  ともすれば乱れそうになる呼吸を落ち着かせ、赤ん坊らしき人骨を観察する。  頭蓋骨に、わずかに毛髪のようなものが付着している。  その毛髪は銀色をしていた。 「これって……」  何かを思いつきそうになったアイリスだったが、その思考は中断させられる。  自分たちの周囲に、黒い影が落ちてきたからだ。 「!?」  ピーチとアイリスは慌てて振り返る。  そこには、黒い霧が人の形となったような巨人がいた。 「な、何なの!?」  ピーチは武器を構え、アイリスもそれに続く。 「次から次へと……この世界はどうなっているのですか!?」  突然出現した黒い巨人に対し、イクシードナイツは警戒しながら魔力を高める。 「どうする、アイリス!?」 「攻撃してくるようなら、反撃しましょう!」  それが聞こえていたのかどうか、黒い巨人は二人に向かって手を伸ばしてきた。 「きた!」  ピーチは武器に魔力を込めると、巨人の手に斬りつける。  だが、ピーチの斬撃は空を切ったように素通りしてしまった。 「え!?」  驚きの声を上げたピーチを、巨人の手がつかむ。 「きゃあぁああ!」  ピーチと同じく、アイリスも巨人の手に捕まってしまっていた。 「くっ……! な、何なのですか、この巨人は……!?」  アイリスは魔力を膨張させて巨人の手をはねのけようとするが、どれほどもがこうがビクともしない。  黒い巨人はイクシードナイツの二人を持ち上げると、目も鼻も口もない顔を近づけてくる。 「た、食べても美味しくないわよ!?」 「お、落ち着いてください、ピーチ! この巨人に口はありません!」  慌てるピーチを落ち着かせようとして、アイリスもどこかズレたことを叫んでいた。  と、ピーチとアイリスの周囲で空気が震えた。  その振動は形のある音となり、その音は声として集束し、集束された声は言葉となった。  その言葉は二人にはこう聞こえた。 「ワタシノムスメ」  ピーチもアイリスも、困惑しながら巨人を見る。 「む、娘……!? どういうこと……!?」 「喋ることができるのですか……!? あなたは一体……!?」  混乱する二人。  と、急に巨人の手に力が込められた。 「あぐっ!?」  全身を締め付けられ、二人の表情が苦痛に歪む。 「な、なんて力……! このままでは握り潰されてしまいます……!」  アイリスが必死に抵抗しようとするが、巨人の力にまるで歯が立たない。 「こ、このっ……ううっ……!」  ピーチも同じく抗うことができず、巨人の手に締め付けられ、苦悶の表情で喘いでいた。  全身の骨が軋み、圧迫された肺が動かなくなり、呼吸も止まる。  命の危機を本気で感じたその時、黒い巨人の頭部に光る矢が突き刺さった。  同時に、黒い巨人の輪郭が崩壊し、霧となって分散しながら消滅した。  巨人の手から解放されたイクシードナイツは、地面に落ちて苦しそうに息をする。 「はぁっ、はぁっ……! な、何が起こったの……!?」  ピーチとアイリスは顔を上げ、周囲を見回す。  そして、一人の女性が弓矢を構えて立っているのを見つけた。 「あ、あの人は……!」  その顔を、アイリスは資料で見た覚えがあった。  その女性は弓矢を投げ捨て、石の上に置かれていた赤ん坊の骨を両手に抱えると、そっと抱きしめる。  女性の両目から涙が溢れ、それが地に落ちた瞬間、イクシードナイツの意識は光に飲み込まれた。  目が覚めた時、ピーチとアイリスは学園の実習室に戻ってきていた。 「大丈夫ですか!? お二人の脳波が異常な波形になったので、実験を中断したのですが……!」  心配そうに覗き込んでくる菜々芭に、ピーチもアイリスも「大丈夫です」と答えた。  ピーチは困惑した表情で、アイリスの方を見る。 「アイリス、あの時私たちを助けてくれた女の人って……」  ピーチもあれが誰かわかっていたようだった。  アイリスも曖昧な表情で頷き、こう言った。 「あれは……あの人は……ココノ・アクアでしたね……」  聖涙石の世界の中にいたのは、何故かメッツァー・ハインケルの副官であるココノ・アクアだった。 「どういうことなんだろう……全然わかんない……」  ピーチはわけがわからないといった顔で、無意味に天井を見上げていた。  一方、アイリスは自分なりの仮説を立てていた。  そもそも、キールが持っていた聖涙石は、どうやって手に入れたものなのか。  ココノは元々魔法戦士である。聖涙石を所持していてもおかしくない。  もしココノが自分の持っていた聖涙石をキールに与えたのなら、自分たちが潜り込んだ世界は、ココノと深い関係があるのではないか。  だからこそ、ココノがあそこに現れたのではないか。  ならば、あの赤ん坊の遺骨は?  あの黒い巨人は?  私の娘、とは?  わからないことがあまりにも多く、アイリスもピーチと同じく何となく天井を眺めた。  ピーチは深呼吸すると、誰にともなく言う。 「何だか……お腹空いちゃった……カレー食べたい……」  ピーチの呟きに、アイリスは思わず吹き出してしまう。 「食堂にでも行きましょうか」  アイリスはピーチにそう言った。  わからないことでいつまでも悩んでいても仕方がない。  美味しいものでも食べて、頭を切り替えよう。  闇の底に続く思索の階段を降りていくのを止めてくれたピーチに、アイリスは心の中で感謝したのだった。  イクシードナイツが聖涙石の世界で見た光景の意味は、キールとの再会によって理解することになる。  あまりにも残酷で、あまりにも禍々しく、あまりにも悲しい真実とともに――。